2013年12月14日土曜日

奈良マラソン2013完走!

奈良では恒例になった、奈良マラソン。
http://www.nara-marathon.jp

今年、3年ぶりに奈良マラソンに挑戦することになり、12月8日、出場してきました。
朝9時のスタートでしたが、早朝からたくさんのボランティアの方や運営スタッフの方がコースの準備をしてくださっている姿を見ながら競技場に向かいました。奈良マラソンは運営のスムーズさやランナーへの配慮、沿道の応援など、全国のマラソンの中でも非常に評価の高いマラソンとして有名です。実際にランナーとして走りながらも、それを実感することができました。競技場では1万人を超える参加者が着替え、ウォーミングアップをするわけですが、それはそれは何をするにも大混雑するのが常識です。トイレ一つとっても、30分以上並ばなければいけないのは普通のことですが、今回は違いました。トイレの数を多く用意していただいたこともあるでしょうが、上手にランナーのエリアを区切りながら、できるだけ混雑しないように工夫されていたように思います。前回奈良マラソンに参加した時からも格段に進化していると感じました。また、走りだしてみても、給水所やトイレの表示も、何が置いてあるのか、次の給水所やトイレまでの距離が一目で分かるように書いてありました。ランナーは走りながら色々なことを考えておかなければならないのですが、ゆっくり考えている暇と余裕はありません。この給水は飛ばして次まで行こうか、給水のテーブルは何台置いてあるのか、などなど。十分に置いてあるだろうとは思っていても、気づけば今のテーブルが最後だった、とか、次まで、と思っていたら結構な距離があったとか、後になって気づいた時の精神的な負担はかなり大きいものがあります。それがその場で、一瞬でみて直感的に分かる状態になっていたのは非常にありがたかったです。ゴミ箱も「これが最後のゴミ箱」と書いてあって、本当に細かいところの改善や工夫が積み重ねられてきているのだなと感じました。

優しい人、思いやりのある人、というのは、きっとこんな積み重ねができてきた人ということなのかもしれませんね。はじめから何もしなくても優しく気遣いができる人などいません。相手の人はどう感じたのかなということをくみ取り、次はもっとこんな風にしてあげよう、こうしたら喜んでくれるだろうというちょっとした気づきや工夫を繰り返していくことで、少しずつ、少しずつ優しい人になっていくということなのでしょう。失敗したからこれで終わり、はじめから完璧にしようと思わず、次がある、明日があるという気持ちを持ち続けたいものです。

さて、フルマラソンを走るのはこれで4回目になりますが、やはり奈良マラソンは格段に厳しいコースです。奈良から天理の間にある山越えをはじめとしてアップダウンが多く、足への負担も相当大きくなります。痛い、辛いに耐えながらも、どうにかこうにか、今回もゴールの競技場に帰ってくることができました。ゴールが近づいてくると、沿道の皆さんが「おかえり、おかえり」と声援をかけてくださいました。不思議な言葉ですね、辛かったそれまでの道のりがフッといい思い出に変わった気がしました。走りながら、もう、マラソンなんか走りたくない、これを最後にしようと思っていたのに、次はどこに走りに行こうかと、早速マラソン探しを始めてしまいました。

2012年12月3日月曜日

汚れたものが輝いている

本日、本堂におきまして人形供養の法要を執り行いました。
児童養護施設愛染寮、いこま乳児院、いこま乳児保育園の子どもたちが見守る中、古く使えなくなった人形とのお別れの法要となりました。
はじめはきれいだった人形も、手垢がついて黒くなり、あちこち千切れたり取れたりしているのを見ると、その分だけ子どもたちに愛されたという証なのだと感じます。そう思えば、ここへやってくる人形たちは、新品同様というようなきれいなものではなく、誰も欲しがることのないような汚れたものであればあるほど、むしろ輝かしいものなのかもしれません。
さて、私達僧侶が身に着けている「袈裟」ですが、これは「糞掃衣(ふんぞうえ)」とも言われ、人々が使い古し捨ててしまうような、まさに字の通り「糞を掃き拭うのに使ったような」ボロ布を継ぎ接いで作ったものです。そしてこの衣に使われる色は「壊色(えじき)」といって、人々が好んで使わないような色、きらびやかな色ではなくていわば薄汚い色が本来は使われるのです。このように、人が使い古し、誰も好まないような布を身に纏うことによって、色欲から離れ、悟りを目指そうとするのです。その姿こそが、人々が「ありがたい」と感じるものなのでしょうね。私が修行をしている頃、ある監督僧から次のように言われました。「あなたたちが袈裟を着けて人前へ出れば、きっと手を合わせてくれる人がいるだろう。しかし、それはあなたに手を合わせているのではない、あなたが身に着けている袈裟に、人は手を合わせているのです」と。袈裟は、ただ古い布の集まりであるというだけの意味ではなく、また、単に僧侶という職業を表すユニフォームでもない。人々が袈裟に対してありがたみを感じ、手を合わせるのは、(現在では、僧侶の袈裟を本来的な意味の「糞掃衣」といった不浄な布で作っているわけではありませんが) その布がボロボロになるまで人々に使って、使って、使い込まれたものであり、愛着も、憎しみも、悲しみも、何でも引き受けてくれる懐の深さを感じるからなのかもしれないと感じたのでした。人形供養に出された人形たちのように、汚れた分だけ誇らしげに輝いている、そんなものなのかもしれません。

2012年9月22日土曜日

小さな平等、大きな平等

秋のお彼岸がやって参りました。
私お彼岸を前に少しお休みを頂いて、アメリカへ旅行に行って参りました。何度も飛行機を乗り継いで、ほとんど丸一日かかって目的地であるワイオミング州のイエローストーン国立公園へ到着しました。日本を夕方に出発して、丸一日かかって到着したのに、現地はまだ当日の晩。そうです、いわゆる「時差」というものが話をややこしくしているのですね。地球の自転の関係で、日本は「日の出づる国」と言われるように、世界で最も早く日の変わる国の一つです。つまり、アメリカは逆に言えば最も遅く日が変わるわけです。今回行ったワイオミング州は、日本よりも16時間遅れるというわけですから、日本が夕方の4時になってはじめて、現地ではようやくその日の0時を向かえるということになります。
私達に与えられたものの中で平等なもののうちの一つに、時間があります。とよく言われます。確かに、生きている私達はみな、一日24時間、1年365日という時が与えられていると言えるでしょう。しかし、瞬間的に考えれば、日本で夕方の4時だというのにアメリカではまだその日が始まったばかり。決して「同じ」というわけにはいかないでしょうね。地球という一つの星に住んでいる限り、みんなそれぞれに違った時間を過ごしているということになります。それに、日本が世界で一番日付が早く変わるということすらも、たまたま日付変更線を太平洋の真ん中に引っ張ったからであって、もしそれが大西洋にあればアメリカやブラジルが一番になっていたでしょうし、中国あたりに引かれていたら、日本が世界で一番最後に日付が変わるなんてこともありえたわけです。
さらに、北半球と南半球とでは、季節が逆になるという事も大きな違いですね。日本とオーストラリアのように、ほとんど時差のないところでも、季節は逆。仮に同じ時間を過ごしているとしても、日本で暑い暑いと言っている夏にも、オーストラリアは寒い冬の季節を迎えているのですから。そう考えてみると、簡単に「平等」といいますが、本当の意味での平等というのは実はとてもむずかしいことなのだということを感じます。確かに、誰しもが1日24時間の時の流れの中にいるわけですが、その瞬間を切り出してみれば、全く違った時空にいるということですし、日本の9月22日19時と、アメリカの9月22日19時では、宇宙の中での地球のその位置はもちろん全然違ったところにあるわけですから、片時も同じ瞬間が私達に平等にあるわけではないようです。
眼の前にある平等、「ケーキを私とあなたとで二等分」、これも確かに平等ですが、それだけにとらわれてしまってはいけないのかもしれません。その時、その瞬間で一見平等に見えないことでも、大きな視点で考えてみれば平等に与えられていること「どんなところにいても、私達に与えられた1日は24時間」もあるのだということです。

「平等、平等」と、簡単に言いがちですが、何を以て平等というか、それは深い問題であるなと、海を越えた国で少し感じたお話でした。

2012年1月14日土曜日

明けましておめでとうございます

本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年は辰年、龍は十二支の中では唯一実在しない動物と言われています。昔から龍は人々から畏れられる存在として語り継がれてきました。鋭い眼光、大きな牙、みるからにコワモテの姿を想像するのではないでしょうか。また、「逆鱗に触れる」「虎口を逃れて竜穴に入る」などのことわざとしても知られています。
しかし、龍はまた英雄や活躍の象徴でもあります。時を窺い好機とみては一気に空へと舞い上がる、その力は「龍の雲を得る如し」であります。空へと舞い上がった龍は、恵みの雨をもたらし、また空から我々を守ってくれるのです。仏教では、龍は仏法護持の守り神とされていますので、色々なお寺の天井に龍が描かれているのはそのためです。
昨年の東日本大震災のあの痛ましい記憶は、年が明けた今もなお薄れることはありませんし、復興への道のりもまだまだ厳しいものがあります。龍のように、自分に厳しく、そして他人に慈しみを、好機を捉えて上昇の一年となりますよう。

2011年4月2日土曜日

原発事故に思う

3月11日、未曾有の大地震、大津波が東日本を襲い、甚大な被害をもたらしました。震災によって亡くなられた方に心よりご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
地震発生以来、テレビやインターネットなどで悲惨な映像が次々と流れ、原子力発電所の事故では目に見えない脅威と戦う毎日が今なお続いている状況であります。滝寺は奈良ですので、直接の被害はなく、遠く離れたところで起こっていることではありますが、我が事のように心を痛める毎日です。

特に原発の事故による放射能漏れについては、直接影響のある地域ばかりでなく、水道水から放射能が検出されたとか、野菜から検出されたとか、目に見えないレベルで影響が懸念されています。それに伴って特に農産物などの風評被害が大きく広がろうとしています。
放射能は目に見えない上に、今問題としているのは確定的影響ではなく確率的影響すなわち、長期間にわたって影響が出るかどうかというレベルの話になりますから、 どうしてもうわさやデマが先行しがちになります。「冷静に行動を」という言葉を何度も聞きますが、「冷静に行動する」とはいったいどうすることなのでしょうか。テレビでは多くの解説者が出てきては、色々なことを言います。しかし、解説すればするほど、話が混乱して余計に不安になってしまうということはないでしょうか。

「この前までは安全だと言っていたのに」「結局危ないのか、危なくないのか、はっきり言ってほしい」という思いは多くの人が持っていることでしょう。しかし、この問題は流動的であり、そして確率的な話でありますから、どうしても○か×かといったようなはっきりとした答えが出せない問題です。ある一定のところまでは大丈夫で、ある線を越えれば影響が出始める、ということではありません。ポイントは2つです。まず、ある瞬間に一定のラインを越えたかどうか、で決まるのではなく、1ヶ月とか、1年とかいった長い期間のうちでどの程度被曝したか、ということです。つまり今日越えたからといって、その後低い用量になっていれば問題があるとは言えない、というわけなのです。そして2つ目のポイントは、規制値自体の決め方にあります。放射線は、線量が増えればそれに応じて少しずつ影響の出る可能性が増えていきます。もちろん、少なければ少ないほど影響も少ないのですが、我々は普段自然界からも放射線による影響を受けています。また、放射線による恩恵も我々は少なからず受けています。とすれば、どこまでが「許せるか」という話になるわけです。こうなってくると、全てを科学的な見地から客観的なデータで処理することができなくなってきます。規制値は、他の様々なリスクと見比べて、概ねこれぐらいなら許されるだろうというレベルに、安全率を10倍・100倍とかけて設定してあります。そんなわけで、この問題ははっきりとした答えが出ない上に、規制値を少し越えていても問題ないとか、「今のところ」問題ないとかいうあいまいな言葉であらわされることになるのです。

冷静に行動する、とは、「正しく状況を理解する」こととも言えるのではないでしょうか。放射線に対する考え方、規制値に対する考え方、これらが単純明快ではないだけに、より声高に叫ばれるのです。今日一日、その場その場の数値ではなく、1週間、1ヶ月といったような期間で様子を見ることが必要です。楽観主義でもなく、悲観主義でもなく。まさに中道を行くべき時です。冷静さを失わない日本人は、世界が驚き感嘆の声を上げています。まだまだこれからが大変な時ですが、皆様のご無事と、一日も早く復旧・復興へと向かうことを心よりお祈りいたします。

2010年12月12日日曜日

完走!奈良マラソン


12月5日、奈良では初めてのフルマラソン「遷都1300年記念 奈良マラソン2010」が、奈良市内から天理市にかけて開催されました。この記念すべき大会に、副住職の私も、ランナーとして参加しました。マラソンを走るのは昨年の東京マラソンに続いて2回目。陸上部出身でもなければ、最近流行りの市民ランナーでもないのですが、東京マラソン完走で妙な自信をつけてしまったことがきっかけといえましょうか。

今回のコースをご紹介しますと、奈良市の鴻池陸上競技場をスタートして、高天交差点から平城宮跡・朱雀門前で折り返し、近鉄奈良駅から市内循環道路を通って県庁前〜東大寺前〜奈良教育大前〜紀寺町、そこから南下して古市〜横井〜窪之庄南へ、東へ折れて奈良東病院前〜高樋町〜白川大橋へと上がっていきます。そこから天理へ、山辺幼稚園前から東へ折れて天理教本部を大きく回って天理参考館、天理高校前で折り返しです。ここからは同じ道をずっと奈良市内まで戻って県庁東で北へ折れます。焼門前から西へ曲がって法蓮佐保橋で北へ曲がればゴールの鴻池陸上競技場です。

天気は快晴、12月らしからぬ暖かい一日となりました。スタートは9時、1万人のランナーが一斉に鴻池陸上競技場を出発。大きな大宮通が一面人で埋め尽くされる光景は圧巻でした。朱雀門前から県庁へと向かう道は緩やかな登り、向こうの方まで続く人の絨毯。見たことのない奈良の街なみを走ることに興奮して、序盤からオーバーペースになってしまいました。奈良にお住まいの方にはお分かりの通り、今回の奈良マラソンは、かなりのアップダウンがあるコースになっています。特に、窪之庄南を過ぎたあたりから天理までの白川越えは高低差60メートル以上あり、それが5キロの区間で上って下りるということですから、かなりのスタミナ消耗が予想されます。それにもかかわらず、オーバーペースで突っ込んでしまったのはやはりマラソン素人の反省点です。案の定、白川大橋を越えた頃には息は上がるし、脚に痛みも出始めました。天理高校の折り返しの時点ですでに走るのもやっと、という状態で、これはもうリタイアを覚悟しなければと思ったほどでした。

折り返したということは再びあの白川を越えなければならないわけで、今振り返ってみてもよくあの状態から残りの20キロを走ったものだと思います。苦しい中で、たくさんの応援をもらい、なんとか足を前へ運ぶことができました。地元の高校生やボーイスカウトの人達など大勢ボランティアのスタッフとして給水や沿道に立って協力をして下さいましたし、また長い時間交通規制があったために近隣の人達には大きな不便や迷惑をかけながらの大会開催であったとも聞きました。ポジティブにもネガティブにも、結果としていろいろな人達の力をもらってこのコースを走らせてもらっていることに一ランナーとして感謝をしながら、なおさらこれは途中で投げ出してはいけないとの思いを強くするものでした。

途中で歩いたり、立ち止まったりもしながらではありましたが、最後に鴻池陸上競技場のトラックまで帰ってきた時には、感動や感激よりも、「やっと帰ってきた」という安堵の気持ちの方が強くありました。ゴール前では、ゲストの高橋尚子さんがランナーを一人一人ハイタッチで迎えて下さり、そちらの方が感激したほどです(笑)。5時間21分29秒、タイムとしては並以下の記録でしたが、とにかく完走できた、途中で止めなかったという結果に満足。「やればできる」、たった半日、たかが42キロ強の話でしたが、苦しい時に辛抱して辛抱して、成し遂げた達成感というのはなかなか普段感じることのできない経験でした。

2010年10月8日金曜日

秋季彼岸会 住職法話 -特別養護老人ホーム延寿にて-

仏教では「さとりの教え」というのがありますが、仏教の大事な基本のものの考え方になっているものはなんでしょうか。私たちが普段大切にしている考え方は色々あります、たとえばご先祖様を大切にしましょうとか、毎日手を合わせましょうとか、それぞれ持っている考えがありますが、仏教の中で一番大切にしている考え方というのは、実は「縁」という考え方なんです。「今日は縁起がいい」といったような、「縁起」とも言います。つながり、関係ということですが、「あれがあるからこれがある」という考え方のことなんです。子どもが生まれて初めて「親」といいます。子どもがいなかったら親とはいいませんよね。子どもがいるから親がある。親という存在があるから子どもがいる。右手があるから左手がある。もし右手しかなかったら、「右手」とはいいません、「左手」があるから「右手」もあるわけです。こんな風な考え方を、仏教では「縁」と表現しています。私たちは独りではない、隣の人や近くの人とのつながり、関係が出来上がってそして自分という存在があり、また、周りの人の存在もあるのです。それで、「縁を大事にしましょう」「つながりの大切さ」ということを説いたりするわけです。手をつないでいると「あぁ、つながっているなぁ」と、感じるものでありますが、手を離すとそれはまた別の存在と感じられます。つながっているけれど、分かれてもいる。

春になると、芽が出てきます。境内にあるイチョウの木を見ていても、冬には何もなかった枝に、新しい芽が出て、枝や葉がつき始めます。こんなときに、葉をちぎろうと思っても、無理やりでなければ千切れないものです。ところが秋になって、色づいてきますと、綺麗だなぁと思っているうちに、はらりはらりと葉が落ち始めるのです。風が吹いているから葉が落ちるのかなぁ、と思っていますがそうではありません、何の風も吹いていないのに、あるときふっと 落ちてしまいます。どうして突然に落ちてしまうのだろう、つながっているならば、なにもわざわざ離れてしまわなくてもいいのに、そんなことを考えたことがあります。どこで千切れてしまうのだろう、といいますと、植物はみな細胞でできています。私たちの体も同じですが、最初は一つの細胞だったものが、次々と分かれていってできていくものです。植物も人間も、一つのものではない、たくさんの細胞が集まって出来上がっているのです。ただ、つながっているだけなのです。いわば別々のものであるのですが、一つにつながっているのです。老いていくと、その細胞が離れていく、つながりがなくなって別々の物になっていくのです。葉がぽろっと落ちるのは、木と葉が一つのものではない、つながっているだけのものだから、離れていくのですね。そしてそれは、無理に剥がれていくのではない、自然に、剥がれて、散っていくのです。しかし、そうして枯れてしまったように見える木であっても、また、新しい細胞が生まれ、新しい枝や葉が次の年の春がやってくると芽吹いてくるのです。そして、気がつくと、全体が少し大きくなって、成長しているのですね。私たちは、そういった繰り返しをしながら、次第に成長していくのですね。そして命も同じように、次の世代へと、繰り返しながらつながっていっているわけです。

秋になって木々の葉が落ちるのを見ると、何か物寂しい気持ちになったりもするのですが、それは元々、別々のものであったわけです。落ちた葉を見て、「さぁこれはどこに付いていたものか」と思っても、それはもう知る由もありません、知る必要もないのです。落ちた葉は、肥やしになり、それがまた別の葉になって生まれ変わっていくのです。別々のものだけれど、やっぱりそれは別々ではない、そういうものなのです。離れていくもの、別れていくものというのは、さびしい気もするけれど、何も悲しむことではないのです。長い命の循環から考えれば、それは恐れるに足らないことだ、そんなことを、秋のお彼岸のときに考えるものなのです。実は春のお彼岸の時にはこんなことは考えません。春には新しく生まれる芽や命、そこから命の大切さを考えますが、秋のお彼岸の時には、そろそろ葉が色づき始め、はらはらと落ちていくのを見ながら、命の循環のことを考えるものなのです。私たちの命も亡くなります、それはイチョウの葉と同じことですが、いつまでも生きていようと思ってもそれは無理なことです。しかし、無理に終わらせようと思わなくても、自然に、命はつながっていくものです。私たちの命も、ちゃんと引き継がれていくのだ、ということを考えたら、私の命が在るから、次の命があるのだ、別々の命のようにも思えるけれど、あの命があるから、この命があると思えると、つながっていると考えられるわけです。そしてそのつながりというのは、ちょっとしたことです。ぎゅっとつながっているわけではない、そっと手をつないでいるような、そんなつながりであります。そんなものだからこそ、このお彼岸のときに、つながり、縁の大切さを考える機会になればと思います。どうぞお元気でお過ごし下さい。