2011年4月2日土曜日

原発事故に思う

3月11日、未曾有の大地震、大津波が東日本を襲い、甚大な被害をもたらしました。震災によって亡くなられた方に心よりご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
地震発生以来、テレビやインターネットなどで悲惨な映像が次々と流れ、原子力発電所の事故では目に見えない脅威と戦う毎日が今なお続いている状況であります。滝寺は奈良ですので、直接の被害はなく、遠く離れたところで起こっていることではありますが、我が事のように心を痛める毎日です。

特に原発の事故による放射能漏れについては、直接影響のある地域ばかりでなく、水道水から放射能が検出されたとか、野菜から検出されたとか、目に見えないレベルで影響が懸念されています。それに伴って特に農産物などの風評被害が大きく広がろうとしています。
放射能は目に見えない上に、今問題としているのは確定的影響ではなく確率的影響すなわち、長期間にわたって影響が出るかどうかというレベルの話になりますから、 どうしてもうわさやデマが先行しがちになります。「冷静に行動を」という言葉を何度も聞きますが、「冷静に行動する」とはいったいどうすることなのでしょうか。テレビでは多くの解説者が出てきては、色々なことを言います。しかし、解説すればするほど、話が混乱して余計に不安になってしまうということはないでしょうか。

「この前までは安全だと言っていたのに」「結局危ないのか、危なくないのか、はっきり言ってほしい」という思いは多くの人が持っていることでしょう。しかし、この問題は流動的であり、そして確率的な話でありますから、どうしても○か×かといったようなはっきりとした答えが出せない問題です。ある一定のところまでは大丈夫で、ある線を越えれば影響が出始める、ということではありません。ポイントは2つです。まず、ある瞬間に一定のラインを越えたかどうか、で決まるのではなく、1ヶ月とか、1年とかいった長い期間のうちでどの程度被曝したか、ということです。つまり今日越えたからといって、その後低い用量になっていれば問題があるとは言えない、というわけなのです。そして2つ目のポイントは、規制値自体の決め方にあります。放射線は、線量が増えればそれに応じて少しずつ影響の出る可能性が増えていきます。もちろん、少なければ少ないほど影響も少ないのですが、我々は普段自然界からも放射線による影響を受けています。また、放射線による恩恵も我々は少なからず受けています。とすれば、どこまでが「許せるか」という話になるわけです。こうなってくると、全てを科学的な見地から客観的なデータで処理することができなくなってきます。規制値は、他の様々なリスクと見比べて、概ねこれぐらいなら許されるだろうというレベルに、安全率を10倍・100倍とかけて設定してあります。そんなわけで、この問題ははっきりとした答えが出ない上に、規制値を少し越えていても問題ないとか、「今のところ」問題ないとかいうあいまいな言葉であらわされることになるのです。

冷静に行動する、とは、「正しく状況を理解する」こととも言えるのではないでしょうか。放射線に対する考え方、規制値に対する考え方、これらが単純明快ではないだけに、より声高に叫ばれるのです。今日一日、その場その場の数値ではなく、1週間、1ヶ月といったような期間で様子を見ることが必要です。楽観主義でもなく、悲観主義でもなく。まさに中道を行くべき時です。冷静さを失わない日本人は、世界が驚き感嘆の声を上げています。まだまだこれからが大変な時ですが、皆様のご無事と、一日も早く復旧・復興へと向かうことを心よりお祈りいたします。