2010年12月12日日曜日

完走!奈良マラソン


12月5日、奈良では初めてのフルマラソン「遷都1300年記念 奈良マラソン2010」が、奈良市内から天理市にかけて開催されました。この記念すべき大会に、副住職の私も、ランナーとして参加しました。マラソンを走るのは昨年の東京マラソンに続いて2回目。陸上部出身でもなければ、最近流行りの市民ランナーでもないのですが、東京マラソン完走で妙な自信をつけてしまったことがきっかけといえましょうか。

今回のコースをご紹介しますと、奈良市の鴻池陸上競技場をスタートして、高天交差点から平城宮跡・朱雀門前で折り返し、近鉄奈良駅から市内循環道路を通って県庁前〜東大寺前〜奈良教育大前〜紀寺町、そこから南下して古市〜横井〜窪之庄南へ、東へ折れて奈良東病院前〜高樋町〜白川大橋へと上がっていきます。そこから天理へ、山辺幼稚園前から東へ折れて天理教本部を大きく回って天理参考館、天理高校前で折り返しです。ここからは同じ道をずっと奈良市内まで戻って県庁東で北へ折れます。焼門前から西へ曲がって法蓮佐保橋で北へ曲がればゴールの鴻池陸上競技場です。

天気は快晴、12月らしからぬ暖かい一日となりました。スタートは9時、1万人のランナーが一斉に鴻池陸上競技場を出発。大きな大宮通が一面人で埋め尽くされる光景は圧巻でした。朱雀門前から県庁へと向かう道は緩やかな登り、向こうの方まで続く人の絨毯。見たことのない奈良の街なみを走ることに興奮して、序盤からオーバーペースになってしまいました。奈良にお住まいの方にはお分かりの通り、今回の奈良マラソンは、かなりのアップダウンがあるコースになっています。特に、窪之庄南を過ぎたあたりから天理までの白川越えは高低差60メートル以上あり、それが5キロの区間で上って下りるということですから、かなりのスタミナ消耗が予想されます。それにもかかわらず、オーバーペースで突っ込んでしまったのはやはりマラソン素人の反省点です。案の定、白川大橋を越えた頃には息は上がるし、脚に痛みも出始めました。天理高校の折り返しの時点ですでに走るのもやっと、という状態で、これはもうリタイアを覚悟しなければと思ったほどでした。

折り返したということは再びあの白川を越えなければならないわけで、今振り返ってみてもよくあの状態から残りの20キロを走ったものだと思います。苦しい中で、たくさんの応援をもらい、なんとか足を前へ運ぶことができました。地元の高校生やボーイスカウトの人達など大勢ボランティアのスタッフとして給水や沿道に立って協力をして下さいましたし、また長い時間交通規制があったために近隣の人達には大きな不便や迷惑をかけながらの大会開催であったとも聞きました。ポジティブにもネガティブにも、結果としていろいろな人達の力をもらってこのコースを走らせてもらっていることに一ランナーとして感謝をしながら、なおさらこれは途中で投げ出してはいけないとの思いを強くするものでした。

途中で歩いたり、立ち止まったりもしながらではありましたが、最後に鴻池陸上競技場のトラックまで帰ってきた時には、感動や感激よりも、「やっと帰ってきた」という安堵の気持ちの方が強くありました。ゴール前では、ゲストの高橋尚子さんがランナーを一人一人ハイタッチで迎えて下さり、そちらの方が感激したほどです(笑)。5時間21分29秒、タイムとしては並以下の記録でしたが、とにかく完走できた、途中で止めなかったという結果に満足。「やればできる」、たった半日、たかが42キロ強の話でしたが、苦しい時に辛抱して辛抱して、成し遂げた達成感というのはなかなか普段感じることのできない経験でした。

2010年10月8日金曜日

秋季彼岸会 住職法話 -特別養護老人ホーム延寿にて-

仏教では「さとりの教え」というのがありますが、仏教の大事な基本のものの考え方になっているものはなんでしょうか。私たちが普段大切にしている考え方は色々あります、たとえばご先祖様を大切にしましょうとか、毎日手を合わせましょうとか、それぞれ持っている考えがありますが、仏教の中で一番大切にしている考え方というのは、実は「縁」という考え方なんです。「今日は縁起がいい」といったような、「縁起」とも言います。つながり、関係ということですが、「あれがあるからこれがある」という考え方のことなんです。子どもが生まれて初めて「親」といいます。子どもがいなかったら親とはいいませんよね。子どもがいるから親がある。親という存在があるから子どもがいる。右手があるから左手がある。もし右手しかなかったら、「右手」とはいいません、「左手」があるから「右手」もあるわけです。こんな風な考え方を、仏教では「縁」と表現しています。私たちは独りではない、隣の人や近くの人とのつながり、関係が出来上がってそして自分という存在があり、また、周りの人の存在もあるのです。それで、「縁を大事にしましょう」「つながりの大切さ」ということを説いたりするわけです。手をつないでいると「あぁ、つながっているなぁ」と、感じるものでありますが、手を離すとそれはまた別の存在と感じられます。つながっているけれど、分かれてもいる。

春になると、芽が出てきます。境内にあるイチョウの木を見ていても、冬には何もなかった枝に、新しい芽が出て、枝や葉がつき始めます。こんなときに、葉をちぎろうと思っても、無理やりでなければ千切れないものです。ところが秋になって、色づいてきますと、綺麗だなぁと思っているうちに、はらりはらりと葉が落ち始めるのです。風が吹いているから葉が落ちるのかなぁ、と思っていますがそうではありません、何の風も吹いていないのに、あるときふっと 落ちてしまいます。どうして突然に落ちてしまうのだろう、つながっているならば、なにもわざわざ離れてしまわなくてもいいのに、そんなことを考えたことがあります。どこで千切れてしまうのだろう、といいますと、植物はみな細胞でできています。私たちの体も同じですが、最初は一つの細胞だったものが、次々と分かれていってできていくものです。植物も人間も、一つのものではない、たくさんの細胞が集まって出来上がっているのです。ただ、つながっているだけなのです。いわば別々のものであるのですが、一つにつながっているのです。老いていくと、その細胞が離れていく、つながりがなくなって別々の物になっていくのです。葉がぽろっと落ちるのは、木と葉が一つのものではない、つながっているだけのものだから、離れていくのですね。そしてそれは、無理に剥がれていくのではない、自然に、剥がれて、散っていくのです。しかし、そうして枯れてしまったように見える木であっても、また、新しい細胞が生まれ、新しい枝や葉が次の年の春がやってくると芽吹いてくるのです。そして、気がつくと、全体が少し大きくなって、成長しているのですね。私たちは、そういった繰り返しをしながら、次第に成長していくのですね。そして命も同じように、次の世代へと、繰り返しながらつながっていっているわけです。

秋になって木々の葉が落ちるのを見ると、何か物寂しい気持ちになったりもするのですが、それは元々、別々のものであったわけです。落ちた葉を見て、「さぁこれはどこに付いていたものか」と思っても、それはもう知る由もありません、知る必要もないのです。落ちた葉は、肥やしになり、それがまた別の葉になって生まれ変わっていくのです。別々のものだけれど、やっぱりそれは別々ではない、そういうものなのです。離れていくもの、別れていくものというのは、さびしい気もするけれど、何も悲しむことではないのです。長い命の循環から考えれば、それは恐れるに足らないことだ、そんなことを、秋のお彼岸のときに考えるものなのです。実は春のお彼岸の時にはこんなことは考えません。春には新しく生まれる芽や命、そこから命の大切さを考えますが、秋のお彼岸の時には、そろそろ葉が色づき始め、はらはらと落ちていくのを見ながら、命の循環のことを考えるものなのです。私たちの命も亡くなります、それはイチョウの葉と同じことですが、いつまでも生きていようと思ってもそれは無理なことです。しかし、無理に終わらせようと思わなくても、自然に、命はつながっていくものです。私たちの命も、ちゃんと引き継がれていくのだ、ということを考えたら、私の命が在るから、次の命があるのだ、別々の命のようにも思えるけれど、あの命があるから、この命があると思えると、つながっていると考えられるわけです。そしてそのつながりというのは、ちょっとしたことです。ぎゅっとつながっているわけではない、そっと手をつないでいるような、そんなつながりであります。そんなものだからこそ、このお彼岸のときに、つながり、縁の大切さを考える機会になればと思います。どうぞお元気でお過ごし下さい。

2010年8月25日水曜日

お盆の法話(特別養護老人ホーム 延寿にて)

また、暑い夏がやってきました、そして今日は15日ですから、お盆の最後の日ですが、終戦記念日でもありますね。若い人にとっては、終戦記念日というのはもう経験したことのない話ですけれども、延寿のお年寄りの皆さんの多くの方は戦争を色んな形で体験されてこられたことと思います。

さて、夏のお盆というのは、亡くなったご先祖様を供養する法要です。人間や生き物というのは亡くなれば必ずと言っていいほど一旦は地獄へ落ちるものです。罪の重い軽いによって、閻魔さんのお裁きを受けてどの地獄に行くかが決まるそうですが、その地獄では供養をしたり自ら努めたりすれば次はいいところへ生まれ変わる、ということで、生き物は「六道輪廻」といって、天や人間、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄とずっと何度も生まれたり死んだりするのです。生き物は生まれて亡くなると、また長い時間をかけて新しい生を受け、それをずっと繰り返し、そういう風にして生きている命というのはずっとつながっています。私たちが生きているというのもご先祖様がいらしたから生きているわけです。これから自分がどうなるか、未来のことというのは、予測することはできるけれども確実にそうなるとは決まらないものです。「私は100歳まで生きるぞ」と思っていても、98歳で死ぬかも分からないし、「私は80でいいわ」と思っていても、100歳まで生きる人もありますから、なかなか予測はできたとしても、実際にはそうなるとは限らないものです。世の中もまた同じですね。ところが過去というのは、これはもう過ごしてきたことですから、変わりません、事実ですから。私を生んだお父さん、お母さんがいた、ということを、いや、なかったことにしよう、としたら、これは自分もなかったことになってしまいますからね。お父さんお母さんがどんなことをしてくれたのか、そのおかげをもって私たちは生きているわけですから、そういう意味でいえば過去というのは確実にはっきりとした事実としてあるわけです。ではその過去というのはどこまでさかのぼって分かるか、これはなかなか難しいことです。100年前までのことであればまぁ大体記録として残っている。300年前、江戸時代のことでも書いたものとして残っているものも多いでしょう。さぁ鎌倉時代、奈良時代・・・それより前となってきたらどうでしょう。日本の歴史というのは私たち学生の時分に習いましたけれども、古事記とか日本書紀とか、本当か嘘か分からない、というようなことを昔は言ったものでありますが、実は意外とあの神話に近いようなものでも結構歴史的事実が含まれているということもよくあります。


昨日の朝日新聞の第一面(8月14日)に、「最古の建材が健在—奈良・元興寺、西暦586年頃のヒノキ、飛鳥寺から」という記事が載っています。そして奈良版のところにも、「修理の年輪刻む禅室、元興寺に飛鳥期の木材」と書かれています。元興寺というのは日本に仏教が伝わってきて最初にできた本格的なお寺、それは多くの歴史学者が認めているところで定説であります。「日本で一番古いお寺はどこですか?」これは知らない人もたくさんいますが、これは飛鳥寺です。またの名前を法興寺ともいいますが、元興寺ともいうんですね。よく日本で古いお寺、といいますと、法隆寺とか、あるいは四天王寺とかいう人もありますが、歴史的な事実として一番古いのは、飛鳥寺なんです。その飛鳥寺が、平城京に遷都された時に、都に移ってきました。実は今はもう元興寺は街の中にぽつんと残っているだけですが、本当は大きなお寺だったんです。その大きなお寺が、飛鳥寺が移ってきたお寺だ、ということは大体分かっていたのですが、それは奈良時代に、移った時に新しく建てたのだろうと思われていました。でもその当時瓦は大変重要なものであったから、飛鳥寺の瓦を持ってきてお寺の屋根に載せたのだろう、ということがだんだんと修理をしているうちに分かってきたんです。ところが、更に古いことが分かってきて、木には年輪があって、年輪を見るとこれは何年に切ったのかということが分かるというように研究が進んできました。そうすると、今元興寺の柱には、飛鳥時代の飛鳥寺の柱が使われている、奈良時代に新しく建てたというよりは、飛鳥寺からそのまま持ってきたに近いぐらいに古いお寺だということが分かりました。そんな古い、日本で一番歴史の長いお寺の住職さんに、今日はお塔婆の供養をしていただきました。元興寺の泰善住職がいつもここで、みなさんのご先祖様の供養を私と一緒にしてくださっています。ご先祖様の供養をするのに、今日は聖観音さんをご本尊にして、右のところにはお地蔵様の刷り物を掲げていますが、この刷り物というのは棟方志功さんという、世界的に有名な版画家が元興寺のために刷って下さったお地蔵さんの版画です。お地蔵さんは「地獄で仏に出会う」といいますが、地獄で救ってくれるのはお地蔵さんです、そして塔を建てて、そこにご先祖様のお名前を書いて、お水をかけてあげると、地獄に行っているかも知れないご先祖様に、供養をしたお水が届くということなのです。そういう願いを込めて供養をさせていただきました。どうぞみなさまも、お元気でお過ごしください。

2010年4月26日月曜日

お花祭り終了

昨日は、何年かぶりにさわやかな晴天に恵まれ、お花まつりを無事執り行うことができました。ご参詣いただいた皆様、有難うございました。今年も、たくさんの方々においでいただきましたが、折りしも平城宮蹟では遷都1300年祭が始まったばかりで、県外からもたくさんの観光客が奈良を訪れ、例年に増してこの奈良は賑やかになってきているようです。

今回の花まつりでは、本堂で法要を行った後、トラックの荷台を改造して作った”移動式花御堂”を先頭にして、いこま保育園の手作り白象と一緒に境内を練り歩き、いこま乳児院前の広場へと到着しました。広場では、かぎろひサークルの皆さんによるコーラスの響く中、大行列が迎えられ、いっそう華やいだ雰囲気になりました。

その後は、宝山寺福祉事業団、元興寺文化財研究所の各施設のご協力による模擬店や、「こどものひろば」での和太鼓演奏・リコーダー・劇・ダンスなどのイベントで楽しんでいただきました。実は私も出演しましたが、人前で演技をするというのはなかなかなかなか緊張するものですね。無事に出番を終えて、ホッとしました。来年は・・・どうなることやら。

2010年4月24日土曜日

滝寺花祭り

明日は滝寺お花まつりです。
昨日、今日と、実行委員の方々が中心となって、境内の準備をしていただきました。いろいろと企画も考えて下さっているので、きっと楽しんでいただけることと思います。今年は花御堂がなんと移動式になっていて、本堂からいこま乳児院の前まで練り歩くことになっています。
今日は雨が降ったりやんだりのお天気で、どうなることかと心配しましたが、昼ごろからは晴れて来ましたので、スムーズに準備を進めることができました。お手伝いいただいた皆さん、ありがとうございました。明日いよいよお祭りを迎えますが、皆様どうぞお参りください。

2010年3月22日月曜日

春季彼岸会法要

滝寺にて、春季彼岸会法要が執り行われました。
いつものように、特別養護老人ホーム梅寿荘、延寿でも彼岸会法要を執り行い、ご先祖様の追善供養をさせていただきました。以下、梅寿荘で行われました法要での住職の法話です。


いつものようにお彼岸の法要をさせて頂きました。
こちらにありますようにお塔婆にご先祖様のお戒名を書いて供養をさせて頂くわけですけれども、このお塔婆、先の方に切れ込みが入っておりますがこれは五輪塔を象ったものなんです。本当ならば板ではなくて、本当の五輪塔を建てて供養する、ということになっているのですが、なかなかそういうわけにもいきませんので、こうして五輪塔の形をした板に、お戒名を書くようになりました。こうしてお彼岸の時期になりますと、亡くなった方のお戒名をお塔婆に書くわけですけれども、やはり文字にして書いてみたり、あるいは声に出して名前をお称えしてみると、「あぁ、あんな人だったなぁ、今ごろはどうしておられるのかなぁ」と、頭の中にその人のお姿が浮かんでくるものでございます。もちろん、顔を知っているご先祖様というのはせいぜい祖父、祖母か曽祖父、曽祖母といったところだとは思いますが、それより前のご先祖様のことも、こうして名前にして書いたり呼んだりすることで思いを馳せることができるのですね。

今年は奈良では遷都1300年ということでいろいろな催しが行われるそうですが、1300年前、この奈良、平城京に都があったというその時代にも、きっと私たちのご先祖様はどこかで暮らしておられたのでしょう。1300年も前の時代のことといえば本当に私たちには何の関係もないことのように思われますが、しかし私たちが今この世界に生きているということは、間違いなく私たちを生んでくれた親、先祖がいるということですから、1300年前とも繋がっているのだということですね。そして、もしかしたら周りにいる他人と思っている人とも実は親戚かも知れない、繋がっているんだということにもなるわけです。このお彼岸は、彼の岸、つまりあの世、極楽浄土にいる私たちのご先祖様のことを思い出して、私たちにまで繋がっていることへ感謝し、そして私たちもきっと極楽へ行けますようにと願う時であります。また、この春のお彼岸は、冬が終わりたくさんの花や草が芽吹く季節です。私たちがご先祖様からこうして繋がってきているように、また子や孫といった、新たな生命の誕生を喜び、これからもまた続いていきますようにと願うものでありたいと思います。

みなさま、これからもどうぞお健やかにお過ごし下さい。

2010年3月7日日曜日

滝寺花まつり(日程)

ご無沙汰しております。

東大寺では二月堂修二会(お水取り)が厳修されております。お水取りが終わりますと奈良には春が訪れるといわれており、もう春間近といったところです。とはいうものの、暖かい日が続くかと思えば急に冷え込んだりと、寒暖の差が激しく体調を崩される方も多くなっているようです。

さて、毎年恒例の花まつりの日程が決まりました。今年は4月25日(日)に実施いたします。午前10時より滝寺本堂で花まつりの法要を行った後、宝山寺福祉事業団傘下の各施設や元興寺文化財研究所の方々にご協力による境内の模擬店等でお楽しみ頂けます。終了は午後2時の予定です。皆様どうぞお参り下さい。

2010年1月2日土曜日

新年明けましておめでとうございます

新しい年を迎えました。今年は寒いお正月となりました。いかがお過ごしでしょうか。
年末から急に冷え込み、滝寺では例年日付の変わる深夜0時に新年の法要を行っているのですが、凍てつくような寒さの中、愛染寮の子どもたちが集まって静かに年明けをお祝いしました。

そして住職から子どもたちへ、「今年の干支は寅。寅のように力強く、新たな目標を立ててチャレンジして欲しい。今年したいことや、去年しようと思っていたけれど出来なかったことがあると思いますが、その目標に向かって、失敗を恐れず、前へ進んでいきましょう。」と、健やかな成長を願っての法話がありました。